最近,専ら,昔読んだ本を読み返す毎日。
理由は,大きく2点。
1)読んだはずの本の内容を覚えていないから。
2)金がかからないから。
2)はともかく,1)はまずい。
小説などは,そのときどきで楽しめれば,内容を忘れてしまってもよいだろうけれども,
知識系の本については,まずい。全く血肉になっていないのだから。
2度同じ本を読むというと,時間を無駄にしているように思うかもしれないが,
これが思っていたより楽しい作業であることに気付いた。
上で,内容を覚えていないといったが,かといって全く忘れているわけではない。
読み返せば,ああそういう内容だったなぁと思い出すし,
プラスそれが数年前の俺の知識より更に深まっていく感じ。
なんというか,知識の再構築をしているような。
というわけ(?)で,
昔読んだときは感銘を受けた本が,今読むと,物足りないってこともしばしば。
進化なのか,退化なのか。
う〜ん,ホントはもっと違う内容のことを書こうとしてたんだけど,
文体に引っ張られてしまった。
つまり,何が言いたかったかというと,
再読をしてみるのも案外面白いよってことを述べたかったわけです。
理由は,大きく2点。
1)読んだはずの本の内容を覚えていないから。
2)金がかからないから。
2)はともかく,1)はまずい。
小説などは,そのときどきで楽しめれば,内容を忘れてしまってもよいだろうけれども,
知識系の本については,まずい。全く血肉になっていないのだから。
2度同じ本を読むというと,時間を無駄にしているように思うかもしれないが,
これが思っていたより楽しい作業であることに気付いた。
上で,内容を覚えていないといったが,かといって全く忘れているわけではない。
読み返せば,ああそういう内容だったなぁと思い出すし,
プラスそれが数年前の俺の知識より更に深まっていく感じ。
なんというか,知識の再構築をしているような。
というわけ(?)で,
昔読んだときは感銘を受けた本が,今読むと,物足りないってこともしばしば。
進化なのか,退化なのか。
う〜ん,ホントはもっと違う内容のことを書こうとしてたんだけど,
文体に引っ張られてしまった。
つまり,何が言いたかったかというと,
再読をしてみるのも案外面白いよってことを述べたかったわけです。
突然だが,私は考えることが,あまり好きではない。
いや,積極的に言えば,嫌いである。
理由は,疲れるから。
簡単な理由で,申し訳ないが,ホントのことなので。
走ることや多くしゃべることを求めらるのも,
同様の理由で,嫌いである。
ところが,最近,考えることが多くなり,
そして何故か,それがそんなに苦痛だと感じなくなった。
何故だかは,分からないし,
あえてその理由を問い詰めることもしたくはない。
思えば,前セメは課題に追われる毎日で,
ストレスフルな生活を送っていた。
なんで留学したんだろう,なんてことを考えたくても
そんな精神的余裕すら,なかったように思う。
今は比較的,のんびり考え事をしたりできる。
それが嬉しい。
社会に出る前に,
自分が本当にしたいことは何なのか,
どういった教師になりたいのか,
どういった勉強が足りてないのか,
今出来ることは何なのか,
とゆっくり振り返る時間をもらったのは,
本当に贅沢なことだと感じている。
日本を発つ前に,ハワイへ留学するというと,
友達から「いいね,バケーション♪」と冷やかされたが,
いやはや,案外,その通りなのだ。
ロングバケーション。
与えられた時間を有意義にするために,
のんびりでもいいから,考えることをためらわずに。
残り3ヶ月あせらず生きよう。
いや,積極的に言えば,嫌いである。
理由は,疲れるから。
簡単な理由で,申し訳ないが,ホントのことなので。
走ることや多くしゃべることを求めらるのも,
同様の理由で,嫌いである。
ところが,最近,考えることが多くなり,
そして何故か,それがそんなに苦痛だと感じなくなった。
何故だかは,分からないし,
あえてその理由を問い詰めることもしたくはない。
思えば,前セメは課題に追われる毎日で,
ストレスフルな生活を送っていた。
なんで留学したんだろう,なんてことを考えたくても
そんな精神的余裕すら,なかったように思う。
今は比較的,のんびり考え事をしたりできる。
それが嬉しい。
社会に出る前に,
自分が本当にしたいことは何なのか,
どういった教師になりたいのか,
どういった勉強が足りてないのか,
今出来ることは何なのか,
とゆっくり振り返る時間をもらったのは,
本当に贅沢なことだと感じている。
日本を発つ前に,ハワイへ留学するというと,
友達から「いいね,バケーション♪」と冷やかされたが,
いやはや,案外,その通りなのだ。
ロングバケーション。
与えられた時間を有意義にするために,
のんびりでもいいから,考えることをためらわずに。
残り3ヶ月あせらず生きよう。
英語に自信がもてない,
というのは俺のコンプレックスになりつつある。
これでも,中学・高校のときは,出来た方だし,
英語(科目)は,そこそこ自信もあった。
エディンバラ留学時代も,
今思えば,恥ずかしいことだが,妙な自信があった。
俺の英語でも通じるじゃん,という妙な類の自信が。
しかし,
今,自信など欠片もない。
いや,欠片程度にはあるが,ふっと息をかけたら消えてしまいそうな程度だ。
理由を考えてみたら,案外単純なことだと気付いた。
「自信」という言葉を使うときには,2通りの用途があると思う。
1つ目は,
「俺はあいつより英語を流暢に話せる/語法・文法なら負けない」
という文脈での「できる」自信だ。
自分は他人より優れているという自信であり,
社会の中で生き抜くためには,欠かせない要素だと思う。
もちろん,1つ目の自信も大事だが,
俺は,2つ目の「自信」も同様に大事だと思う。
それは,
「俺はこれまで,これだけ努力してきたのだから」
という文脈での「頑張った」自信だ。
この自信は,他人には分からない尺度で測っているため,
自分が認めてやるしかない。
他人より劣ろうが,蔑まされようが,
自分に胸を張っていい類の「自信」だと思う。
そして,これこそ,大学に入ってから今まで,
俺が努力してこなかった結果による「自信がもてない」
ということなんじゃないかと思った。
ホントに,机に向かって,英語の勉強をしてこなかった。
そのツケが今返ってきている。
月並みだが,やはり「こつこつ」が肝心なのだ,と改めて思う。
この留学で,どれだけ英語が向上するかは分からないが,
少なくとも,2つ目の「自信」はこれから育てていけるように,
と思っている。
以上は,「ほぼ日」の記事を読んで,考えたことである。
以下は,一部抜粋。
生活のなかに、少しずつ組み込まれているものは、
積み重ねられてかなり大きな分量になる。
そういうことなのだなぁ、と思ったのだ。
(中略)
仕事でも、似たようなところがあって、
「楽しそうに、ちょこちょこと
自分のいまやっている仕事について立ち話している」
なんていう環境が、いちばんいいように思う。
もちろん、合宿みたいに、
一気に土台の部分をセットするようなことも必要だけど、
遠くまで伸びていく仕事というのは、
やっぱり積み重ねのおかげでできているのだ。
というのは俺のコンプレックスになりつつある。
これでも,中学・高校のときは,出来た方だし,
英語(科目)は,そこそこ自信もあった。
エディンバラ留学時代も,
今思えば,恥ずかしいことだが,妙な自信があった。
俺の英語でも通じるじゃん,という妙な類の自信が。
しかし,
今,自信など欠片もない。
いや,欠片程度にはあるが,ふっと息をかけたら消えてしまいそうな程度だ。
理由を考えてみたら,案外単純なことだと気付いた。
「自信」という言葉を使うときには,2通りの用途があると思う。
1つ目は,
「俺はあいつより英語を流暢に話せる/語法・文法なら負けない」
という文脈での「できる」自信だ。
自分は他人より優れているという自信であり,
社会の中で生き抜くためには,欠かせない要素だと思う。
もちろん,1つ目の自信も大事だが,
俺は,2つ目の「自信」も同様に大事だと思う。
それは,
「俺はこれまで,これだけ努力してきたのだから」
という文脈での「頑張った」自信だ。
この自信は,他人には分からない尺度で測っているため,
自分が認めてやるしかない。
他人より劣ろうが,蔑まされようが,
自分に胸を張っていい類の「自信」だと思う。
そして,これこそ,大学に入ってから今まで,
俺が努力してこなかった結果による「自信がもてない」
ということなんじゃないかと思った。
ホントに,机に向かって,英語の勉強をしてこなかった。
そのツケが今返ってきている。
月並みだが,やはり「こつこつ」が肝心なのだ,と改めて思う。
この留学で,どれだけ英語が向上するかは分からないが,
少なくとも,2つ目の「自信」はこれから育てていけるように,
と思っている。
以上は,「ほぼ日」の記事を読んで,考えたことである。
以下は,一部抜粋。
生活のなかに、少しずつ組み込まれているものは、
積み重ねられてかなり大きな分量になる。
そういうことなのだなぁ、と思ったのだ。
(中略)
仕事でも、似たようなところがあって、
「楽しそうに、ちょこちょこと
自分のいまやっている仕事について立ち話している」
なんていう環境が、いちばんいいように思う。
もちろん、合宿みたいに、
一気に土台の部分をセットするようなことも必要だけど、
遠くまで伸びていく仕事というのは、
やっぱり積み重ねのおかげでできているのだ。
文章力とは何だろうか?
最近,英語でレポートを書くことが多い。
しかし,上手く書けない。
英語だから難しいというのもあるだろうが,
かといって日本語であれば,上手く書けるのかと言われると,
そういうわけでもない気がする。
う〜ん。
そもそも,書くとはどういうことか?
何のために書くのか?
宿題だから,という答えにならない答えもある。
書くことに意義が見出せない場合は,上の答えもありかもしれない。
が,一般には,それでは不十分である。
では,なぜブログは書いているのか?
それは,きっと自分の考えを整理するため,
また自分が何を考えているかを知るため,であると思う。
今も,書きながら,
ふ〜ん,俺はこんなことを考えているのか,
そんなくだらないことを考えてる暇があるなら,勉強しろよ!
と思っているくらい。
だが,書くことで自分の思考を外言化し,
またそれを客観的に捉え直すことが,
書くという作業のプロセスで起こることではないかと思う。
つまりは,自己表現による自己確認ということか。
意外と恥ずかしい作業だな。
では,書く秘訣は何か?良い文章とそうでない文章の差は何なのか?
自分では思いつかないので,他人の言葉を借りる。
井上ひさしは,
「自分にしか書けないことを誰にでもわかる文章で書くということだけ」
とおっしゃっている。
なるほど。
「自分にしか書けないこと」とは,他人と異なる視点で書くということ。
「誰にでもわかる文章で書く」とは,他人と同じ視点で書くということ。
と勝手に解釈したのだが,合っているだろうか。
他人の視点も大事にしつつ,自分のオリジナリティを出していく。
先行研究も吟味しつつ,自分の論を展開していく。
論文の話かーい!
まぁ,よく考えると(実際,よくは考えてないが),
ちょいと堅めの論文もブログに書く軽い文章も,
きっと文章の基本は同じで,分かりやすく面白く書け!という,
ここまで読んでいただいた人に申し訳ないくらい,当たり前のことなのだろう。
他人と同じことを書いても,面白くないだろうし,
かといって自分の中でしか消化されない文章を書いても,
同様に面白くない,というか,そもそも理解すらしてもらえない,のだから。
留学してから学んだことがある。
良い文章というのは,“say”するのではなく,“describe”していなければならない,
というのだ。
おそらく「語り口」あるいは「文体」のことを言っているのだろうが,
私の書く文章は,まさに説明口調。まるで“describe”していない。
「文体」といえば,
マニアックと思われるかもしれないが,私は田口ランディの「文体」が好きである。
彼女の書く文章を,どう表現すれば適切なのか分からないが,
地に足が着いた文章,
気取らない文章,
えらそうでない文章(上と同じ?),
「実際,私もよく分かっていないのよ」的な文章(さらに上と同じ?),
とでも言えばよいのか。
とにかく,読みやすいのである,少なくとも私にとっては,
と強引にまとめてみる。
実は,このブログで一番気をつけていることは,「文体」だったりする。
また,具体的でない文章も読みづらい。
私の場合,授業でペーパーを書くと,必ず“more specific!”と,
クラスメートからコメントが返ってくる。
う〜ん。悪い癖だ。
「例えば,と言える人は賢い」とカントは言っている,らしい。
そんなことを言えるカントは,きっと賢いのだろう。
「一番好きな花は何かと聞かれて石川淳は 『たとえば,コスモス』と答えたが,丸谷才一はこの『たとえば』の語の中に選べなかった他の多くの花への思いやりが感じられるとしている」という逸話は,金川欣司からの引用である。
いい話だ。
具体的に考える。
これは今後の課題とさせていただたい,
と論文にありがちなオチで締める。
難しいことをやさしく
やさしいことを 深く
深いことを 愉快に
愉快なことを まじめに
書くこと
〜井上ひさし〜
最近,英語でレポートを書くことが多い。
しかし,上手く書けない。
英語だから難しいというのもあるだろうが,
かといって日本語であれば,上手く書けるのかと言われると,
そういうわけでもない気がする。
う〜ん。
そもそも,書くとはどういうことか?
何のために書くのか?
宿題だから,という答えにならない答えもある。
書くことに意義が見出せない場合は,上の答えもありかもしれない。
が,一般には,それでは不十分である。
では,なぜブログは書いているのか?
それは,きっと自分の考えを整理するため,
また自分が何を考えているかを知るため,であると思う。
今も,書きながら,
ふ〜ん,俺はこんなことを考えているのか,
そんなくだらないことを考えてる暇があるなら,勉強しろよ!
と思っているくらい。
だが,書くことで自分の思考を外言化し,
またそれを客観的に捉え直すことが,
書くという作業のプロセスで起こることではないかと思う。
つまりは,自己表現による自己確認ということか。
意外と恥ずかしい作業だな。
では,書く秘訣は何か?良い文章とそうでない文章の差は何なのか?
自分では思いつかないので,他人の言葉を借りる。
井上ひさしは,
「自分にしか書けないことを誰にでもわかる文章で書くということだけ」
とおっしゃっている。
なるほど。
「自分にしか書けないこと」とは,他人と異なる視点で書くということ。
「誰にでもわかる文章で書く」とは,他人と同じ視点で書くということ。
と勝手に解釈したのだが,合っているだろうか。
他人の視点も大事にしつつ,自分のオリジナリティを出していく。
先行研究も吟味しつつ,自分の論を展開していく。
論文の話かーい!
まぁ,よく考えると(実際,よくは考えてないが),
ちょいと堅めの論文もブログに書く軽い文章も,
きっと文章の基本は同じで,分かりやすく面白く書け!という,
ここまで読んでいただいた人に申し訳ないくらい,当たり前のことなのだろう。
他人と同じことを書いても,面白くないだろうし,
かといって自分の中でしか消化されない文章を書いても,
同様に面白くない,というか,そもそも理解すらしてもらえない,のだから。
留学してから学んだことがある。
良い文章というのは,“say”するのではなく,“describe”していなければならない,
というのだ。
おそらく「語り口」あるいは「文体」のことを言っているのだろうが,
私の書く文章は,まさに説明口調。まるで“describe”していない。
「文体」といえば,
マニアックと思われるかもしれないが,私は田口ランディの「文体」が好きである。
彼女の書く文章を,どう表現すれば適切なのか分からないが,
地に足が着いた文章,
気取らない文章,
えらそうでない文章(上と同じ?),
「実際,私もよく分かっていないのよ」的な文章(さらに上と同じ?),
とでも言えばよいのか。
とにかく,読みやすいのである,少なくとも私にとっては,
と強引にまとめてみる。
実は,このブログで一番気をつけていることは,「文体」だったりする。
また,具体的でない文章も読みづらい。
私の場合,授業でペーパーを書くと,必ず“more specific!”と,
クラスメートからコメントが返ってくる。
う〜ん。悪い癖だ。
「例えば,と言える人は賢い」とカントは言っている,らしい。
そんなことを言えるカントは,きっと賢いのだろう。
「一番好きな花は何かと聞かれて石川淳は 『たとえば,コスモス』と答えたが,丸谷才一はこの『たとえば』の語の中に選べなかった他の多くの花への思いやりが感じられるとしている」という逸話は,金川欣司からの引用である。
いい話だ。
具体的に考える。
これは今後の課題とさせていただたい,
と論文にありがちなオチで締める。
難しいことをやさしく
やさしいことを 深く
深いことを 愉快に
愉快なことを まじめに
書くこと
〜井上ひさし〜
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