授業のプロジェクトで,第二言語としての
日本語の教科書をちらっと見たのだが,
とても分厚いのに驚きました。
ハワイの大学では,第二言語が必修であり,
好き嫌いにかかわらず,最低二年間は勉強しなければなりません。
日本だと1年だし,たしか週に1度か2度の割合で進むと思うけど,
こちらでは毎日授業があります。
なので,分厚い教科書もきちっとこなします。
すごいです。
最近強く感じるのが,
日本の大学とアメリカの大学は,明らかにテイストが異なるということ。
学生は,よく勉強します,いやよく勉強させられてます,ホント。
まぁ,それはいいんだけど,
日本語の教科書,よく考えて作られているなーと感心しました。
詳しい内容は,機会があれば,また書きたいと思いますが,
なつかしいなぁと思わせたのが,ひらがなやカタカナを上からなぞる練習がついていたこと。
俺が小学校低学年のとき,よく字をなぞって練習していました。
結構あれって,はまると楽しくなりませんか。
はみ出さないように,きれいになぞる。
ただそれだけのことなんですけどね。
上手くなぞれたときなんかは,嬉しくて友だちや親に自慢したくなるし,
逆に上手くなぞれなかったときは,イマイチ気分が乗れないし。
なぞるという行為には,上手くいえないけど,
心が満たされていくような不思議な感覚を覚えるのです。
というような話を日本語クラスを教えている日本人としていたら,
なんと,外国の人は,なぞらないんだそうです。
なぞる用に薄く文字が書いてあるところは,
書かなくていいと思って,飛ばすみたいなのです。
衝撃でした。
文化の違いなんでしょうかね。
よくよく考えてみれば,
英米人の書くアルファベットというのは,基本,汚い気がします(偏見かもしれませんが)。
汚くて読めない経験は,数多くあるけど,
「これ,すげーきれいなアルファベットだなー」なんて思ったことは,ただの一度もありません。
一方,日本では,「字がきれい」というのは,一種のステータスのような気がするのです。
きっと「文字は美しく書くべき」という教育が,浸透しているのだと思います。
その端っこにあるのが,おそらく書道という分野なのでしょう。
日本という文化は,改めて,文字文化なのだなぁと思いました。
日本語の教科書をちらっと見たのだが,
とても分厚いのに驚きました。
ハワイの大学では,第二言語が必修であり,
好き嫌いにかかわらず,最低二年間は勉強しなければなりません。
日本だと1年だし,たしか週に1度か2度の割合で進むと思うけど,
こちらでは毎日授業があります。
なので,分厚い教科書もきちっとこなします。
すごいです。
最近強く感じるのが,
日本の大学とアメリカの大学は,明らかにテイストが異なるということ。
学生は,よく勉強します,いやよく勉強させられてます,ホント。
まぁ,それはいいんだけど,
日本語の教科書,よく考えて作られているなーと感心しました。
詳しい内容は,機会があれば,また書きたいと思いますが,
なつかしいなぁと思わせたのが,ひらがなやカタカナを上からなぞる練習がついていたこと。
俺が小学校低学年のとき,よく字をなぞって練習していました。
結構あれって,はまると楽しくなりませんか。
はみ出さないように,きれいになぞる。
ただそれだけのことなんですけどね。
上手くなぞれたときなんかは,嬉しくて友だちや親に自慢したくなるし,
逆に上手くなぞれなかったときは,イマイチ気分が乗れないし。
なぞるという行為には,上手くいえないけど,
心が満たされていくような不思議な感覚を覚えるのです。
というような話を日本語クラスを教えている日本人としていたら,
なんと,外国の人は,なぞらないんだそうです。
なぞる用に薄く文字が書いてあるところは,
書かなくていいと思って,飛ばすみたいなのです。
衝撃でした。
文化の違いなんでしょうかね。
よくよく考えてみれば,
英米人の書くアルファベットというのは,基本,汚い気がします(偏見かもしれませんが)。
汚くて読めない経験は,数多くあるけど,
「これ,すげーきれいなアルファベットだなー」なんて思ったことは,ただの一度もありません。
一方,日本では,「字がきれい」というのは,一種のステータスのような気がするのです。
きっと「文字は美しく書くべき」という教育が,浸透しているのだと思います。
その端っこにあるのが,おそらく書道という分野なのでしょう。
日本という文化は,改めて,文字文化なのだなぁと思いました。
Bank Band唯一のシングル曲であり,
Salyuと櫻井和寿のデュエットにより,曲が構成されている。
「News 23」のテーマ曲にもなっている。
Salyuの澄みきった声が,静かなのだが,温かい。
丁寧に音を紡ぐ彼女の歌い方が,好感をもてます。
細かいところでは,彼女のm音が気になりますね。
そして,櫻井和寿のパート。
俺にとって,この楽曲の一番好きな箇所は?と聞かれれば,
案外,櫻井和寿のパートに切り替わる瞬間かもしれない。
Salyuから櫻井へと,その音の落差にやられるのだ。
それから,いい声してるよ,やっぱり。
とにかく,すてきな曲である。
池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる
公園に住む水鳥がそれに命を与える
光と影と表と裏
矛盾も無く寄り添っているよ
私達がこんな風であれたら・・・
(中略)
瓦礫の街のきれいな花 健気に咲くその一輪を
「枯らす事なく育てていける」と誰が言い切れる?
それでもこの小さな祈りを 空に向けて放ってみようよ
風船のように 色とりどりの祈り
(中略)
悲しい昨日が 涙の向こうで
いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ
Salyuと櫻井和寿のデュエットにより,曲が構成されている。
「News 23」のテーマ曲にもなっている。
Salyuの澄みきった声が,静かなのだが,温かい。
丁寧に音を紡ぐ彼女の歌い方が,好感をもてます。
細かいところでは,彼女のm音が気になりますね。
そして,櫻井和寿のパート。
俺にとって,この楽曲の一番好きな箇所は?と聞かれれば,
案外,櫻井和寿のパートに切り替わる瞬間かもしれない。
Salyuから櫻井へと,その音の落差にやられるのだ。
それから,いい声してるよ,やっぱり。
とにかく,すてきな曲である。
池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる
公園に住む水鳥がそれに命を与える
光と影と表と裏
矛盾も無く寄り添っているよ
私達がこんな風であれたら・・・
(中略)
瓦礫の街のきれいな花 健気に咲くその一輪を
「枯らす事なく育てていける」と誰が言い切れる?
それでもこの小さな祈りを 空に向けて放ってみようよ
風船のように 色とりどりの祈り
(中略)
悲しい昨日が 涙の向こうで
いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ
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宮里の藍ちゃん,健闘しましたね。
ここハワイで試合をやっているということもあり,
応援に行こうかとも思ったんだけど,
ゴルフ場なんて市バスで行けるはずもなく,
こんなことなら,国際免許を取っておけばよかったとも思ったのだが,
まぁ,もともとゴルフなんか興味ないから・・・という理由で,
自分を納得させつつ,いつも通り,yahooのニュースで,
彼女の成績をチェックするのでした。
いやいや,ホントはゴルフなんて興味ないし,
というか,ゴルフ場建設自体,一種の自然破壊だろーと勝手に思っているので,
もっと規模が小さくてできるゲートボールなんかが,
メジャーになれば面白いのに・・・なんて思うのです。
ゲートボールがプロ化して,テレビで放送されるような時代って,
なんか,のほほんとしていて素敵じゃないですか。
そういえば,俺らが小学校6年くらいのとき,
強制的に全員,クラブに入らなければいけなかったのですが,
何を血迷ったか,俺が選んだのはあろうことか,ゲートボール部でした。
ホントは,サッカーをしたかったのですが,サッカーを選ぶと,
セットで相撲も付いてくるという変なシステムを学校が採っていたので,
止む無くサッカーはあきらめました。
さすがに,まわしに半けつはきついだろうと。
というわけで,若くして,ゲートボールを嗜む小学生となったわけです。
そして,実は,部長でもありました。
先にも後にも,部長と呼ばれたのは,これっきりだと思います。
ま,でも,やってみれば何とやれで,やってみると,なかなかに面白いものですよ。
意外に,集中力とか,正しい姿勢とか,あとグラウンドのでこぼこを読む力とか求められるし。
それが今,何に役立っているかは,分かりませんが,
年寄りになって,暇を弄ぶようだったら,またゲートボールでもしたいな,と思うのです。
どこから,昔話が始まったのか,
そもそも何を書きたかったのか,分からなくなってしまったけど,
彼女の頑張りには,姿勢を正されるのですよ,
的なことを,たぶん書きたかったんだと思います。
全く違う話になってしまいましたが,
昔話なんてめったにしないし,まっ,それはそれでよいでしょう。
目標をもつことと,結果が出ることは同じではない。
勘違いしてしまいそうだけど,そうだよなぁと改めて思うのです。
今日は,久しぶりにロコモコを食べました。
グレイビーソースたっぷりで,うまかったとです。
ここハワイで試合をやっているということもあり,
応援に行こうかとも思ったんだけど,
ゴルフ場なんて市バスで行けるはずもなく,
こんなことなら,国際免許を取っておけばよかったとも思ったのだが,
まぁ,もともとゴルフなんか興味ないから・・・という理由で,
自分を納得させつつ,いつも通り,yahooのニュースで,
彼女の成績をチェックするのでした。
いやいや,ホントはゴルフなんて興味ないし,
というか,ゴルフ場建設自体,一種の自然破壊だろーと勝手に思っているので,
もっと規模が小さくてできるゲートボールなんかが,
メジャーになれば面白いのに・・・なんて思うのです。
ゲートボールがプロ化して,テレビで放送されるような時代って,
なんか,のほほんとしていて素敵じゃないですか。
そういえば,俺らが小学校6年くらいのとき,
強制的に全員,クラブに入らなければいけなかったのですが,
何を血迷ったか,俺が選んだのはあろうことか,ゲートボール部でした。
ホントは,サッカーをしたかったのですが,サッカーを選ぶと,
セットで相撲も付いてくるという変なシステムを学校が採っていたので,
止む無くサッカーはあきらめました。
さすがに,まわしに半けつはきついだろうと。
というわけで,若くして,ゲートボールを嗜む小学生となったわけです。
そして,実は,部長でもありました。
先にも後にも,部長と呼ばれたのは,これっきりだと思います。
ま,でも,やってみれば何とやれで,やってみると,なかなかに面白いものですよ。
意外に,集中力とか,正しい姿勢とか,あとグラウンドのでこぼこを読む力とか求められるし。
それが今,何に役立っているかは,分かりませんが,
年寄りになって,暇を弄ぶようだったら,またゲートボールでもしたいな,と思うのです。
どこから,昔話が始まったのか,
そもそも何を書きたかったのか,分からなくなってしまったけど,
彼女の頑張りには,姿勢を正されるのですよ,
的なことを,たぶん書きたかったんだと思います。
全く違う話になってしまいましたが,
昔話なんてめったにしないし,まっ,それはそれでよいでしょう。
目標をもつことと,結果が出ることは同じではない。
勘違いしてしまいそうだけど,そうだよなぁと改めて思うのです。
今日は,久しぶりにロコモコを食べました。
グレイビーソースたっぷりで,うまかったとです。
北米版DVD「ALF Season1」を$30で購入。
日本版が出ていないので,
こちらでしか手に入らないと思い,つい手を出してしまいました。
(ところが,どうやらAmazon.co.jpでも手に入るみたいですね。)
感想としては,日本版が出ないかなーと。
北米版は,英語字幕もなく,
使われている英単語も結構分からなかったりして,
理解するのに追われた感じでした。
カットされているシーンも多いみたいで,あまり評判がよくないようですし・・・。
ぷらす,
アルフ役の所ジョージの声をもう一度聞きたいのです。
中学の頃,NHKで「フルハウス」と「アルフ」は欠かさず
見ていたのですが,その頃とは少なくとも違和感がありました。
俺の笑いのテイストが変わったのか,
それとも吹き替えの方が面白いと思ったのか,
その理由は分かりませんが。
かなり昔の作品だけど,アルフの動きは,かなりリアルで驚きます。
ちなみに,アルフの本名は,ゴードン・シャムウェイといいます。
Season4まであるみたいだけど,残りを買うかどうか迷い中。
日本版が出ていないので,
こちらでしか手に入らないと思い,つい手を出してしまいました。
(ところが,どうやらAmazon.co.jpでも手に入るみたいですね。)
感想としては,日本版が出ないかなーと。
北米版は,英語字幕もなく,
使われている英単語も結構分からなかったりして,
理解するのに追われた感じでした。
カットされているシーンも多いみたいで,あまり評判がよくないようですし・・・。
ぷらす,
アルフ役の所ジョージの声をもう一度聞きたいのです。
中学の頃,NHKで「フルハウス」と「アルフ」は欠かさず
見ていたのですが,その頃とは少なくとも違和感がありました。
俺の笑いのテイストが変わったのか,
それとも吹き替えの方が面白いと思ったのか,
その理由は分かりませんが。
かなり昔の作品だけど,アルフの動きは,かなりリアルで驚きます。
ちなみに,アルフの本名は,ゴードン・シャムウェイといいます。
Season4まであるみたいだけど,残りを買うかどうか迷い中。
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わたり音の復習。
/w/の音。
口笛を吹くときの口の形で始める。
womanと言うときのwoのところで,手のひらに息があたればOK。
実は,この音,調音点が2つあり,
両唇と軟口蓋の2つの場所で音を作り上げる。
両唇を狭め,舌の奥を持ち上げ,空気の通路を狭め気味にするのがコツ。
正式には,有声・両唇軟口蓋・接近音と呼ぶらしい。
接近音というのは,/r/ /j/ /w/ のように,舌を口蓋に近づけて出す音のこと。
/j/の音。
舌を少し持ち上げ,空気の通路を狭め気味にする。
yearとearの違い。
yearは/ji/で始まり,earは/j/がなくて/i/から始まる。
/i/では,舌は前方の上方に位置し,
/j/では,舌の中央上部が持ちあがって,口の天井に近づく。
なので,
yearの舌の動きは,常に上に位置しながら,
中央から前に進み,イッキに奥にUターンする。
一方,earの舌の動きは,前方から後方に一直線に動く。
単語力 612
ランキング 350位
思ったように,上がっていかない。
むしろランキングが,ずるずる落ちていく。
上級レベルでも,2000語あるからなぁ。
先は長い。。
/w/の音。
口笛を吹くときの口の形で始める。
womanと言うときのwoのところで,手のひらに息があたればOK。
実は,この音,調音点が2つあり,
両唇と軟口蓋の2つの場所で音を作り上げる。
両唇を狭め,舌の奥を持ち上げ,空気の通路を狭め気味にするのがコツ。
正式には,有声・両唇軟口蓋・接近音と呼ぶらしい。
接近音というのは,/r/ /j/ /w/ のように,舌を口蓋に近づけて出す音のこと。
/j/の音。
舌を少し持ち上げ,空気の通路を狭め気味にする。
yearとearの違い。
yearは/ji/で始まり,earは/j/がなくて/i/から始まる。
/i/では,舌は前方の上方に位置し,
/j/では,舌の中央上部が持ちあがって,口の天井に近づく。
なので,
yearの舌の動きは,常に上に位置しながら,
中央から前に進み,イッキに奥にUターンする。
一方,earの舌の動きは,前方から後方に一直線に動く。
単語力 612
ランキング 350位
思ったように,上がっていかない。
むしろランキングが,ずるずる落ちていく。
上級レベルでも,2000語あるからなぁ。
先は長い。。
インターネットで検索といえば,ぐーぐる。
最近では,動詞としても使うとか,使わないとか。
前セメ,クラスメートが「ぐーぐる」をトピックに
プレゼンをしたので,以下は勉強したことを書きとめておきたい。
・約10年前の1996年に,ぐーぐるが誕生した:意外と歴史は浅い
・googleの名前の由来は, googolらしい
・検索の際,「+/−, ""」などの記号を使うと便利
・検索の際,「ppt/pdf/doc/」などを加えると,便利
・検索ボックスで,簡単な計算ができる
・ぐーぐる「イメージ」「マップ」「ビデオ」など多種にわたるサービス
・ぐーぐる「earth」「scholar」「book」の登場
・最近では,You Tubeを買収したとか
ひとつ面白ネタ。
・google.comの検索ボックスで,「elgoog」と打ってみてください。
不思議なことが起こります。
最近では,動詞としても使うとか,使わないとか。
前セメ,クラスメートが「ぐーぐる」をトピックに
プレゼンをしたので,以下は勉強したことを書きとめておきたい。
・約10年前の1996年に,ぐーぐるが誕生した:意外と歴史は浅い
・googleの名前の由来は, googolらしい
・検索の際,「+/−, ""」などの記号を使うと便利
・検索の際,「ppt/pdf/doc/」などを加えると,便利
・検索ボックスで,簡単な計算ができる
・ぐーぐる「イメージ」「マップ」「ビデオ」など多種にわたるサービス
・ぐーぐる「earth」「scholar」「book」の登場
・最近では,You Tubeを買収したとか
ひとつ面白ネタ。
・google.comの検索ボックスで,「elgoog」と打ってみてください。
不思議なことが起こります。
Kazuo IshiguroのNever Let Me Goを読了。
Graded Readersを除けば,
英語の本を読み切ったのは,今回が初めてかもしれません。
Harry Potterですら,挫折してしまったクチなので・・・
つまり,俺でも読みきれるほど,易しい英語で書かれています。
1章が10ページ前後で構成されていたため,
1日1章のペースで読み進めていきました。
読了後の率直な感想としては,
他のレビューにも見られるように,
物語の中に何時までも浸っていたくなるような不思議な感覚でした。
読み終わるのが勿体無いような,そんな作品です。
1日10ページのスローペースで読み進めたのも,
本当は急いで読み終わりたくなかったからかもしれません。
物語は,
主人公の語りによって,文字通り,紡がれていきます。
その語りが最後までぶれないで創り出す世界観は,圧倒的です。
Kazuo Ishiguroが得意とする「回想」を用いて描く世界は,どう言えばよいのでしょう。
緻密で,それでいて淡々としており,そして美しくはかない,
そんな感じです。
本作品のテーマもさることながら,
語り口の上手さこそが,Kazuo Ishiguro作品の大きな魅力なんじゃないかと思います。
主人公の「記憶」を頼りに,物語が描かれることから,
その語りは確か,濱口先生の授業で扱った「信頼できない語り手」
というやつにあたるのではないかと思います。
漫画でいうと,「Monster」や「20世紀少年」に見られる技法だと思います,たぶん。
ただ,本作品は,主人公の性格もあってか,丁寧に記憶が紡がれるので,
その語りを疑うことは一度もありませんでした。
いやはや,圧倒され続けました。
喪失感。はかなさ。
そういう思いを,本作品から確かに感じたように思います。
これから読まれる方へ。
物語のテーマについては,
予備知識を入れないで,読まれることをお勧めします。
追記(2/19):
回想シーンの心情描写に,
「助動詞 + have + pp」や「仮定法過去完了」が多く使われていた気がします。
大学院に進学していなかったら,たぶん気付かなかった視点だと思いました。
Graded Readersを除けば,
英語の本を読み切ったのは,今回が初めてかもしれません。
Harry Potterですら,挫折してしまったクチなので・・・
つまり,俺でも読みきれるほど,易しい英語で書かれています。
1章が10ページ前後で構成されていたため,
1日1章のペースで読み進めていきました。
読了後の率直な感想としては,
他のレビューにも見られるように,
物語の中に何時までも浸っていたくなるような不思議な感覚でした。
読み終わるのが勿体無いような,そんな作品です。
1日10ページのスローペースで読み進めたのも,
本当は急いで読み終わりたくなかったからかもしれません。
物語は,
主人公の語りによって,文字通り,紡がれていきます。
その語りが最後までぶれないで創り出す世界観は,圧倒的です。
Kazuo Ishiguroが得意とする「回想」を用いて描く世界は,どう言えばよいのでしょう。
緻密で,それでいて淡々としており,そして美しくはかない,
そんな感じです。
本作品のテーマもさることながら,
語り口の上手さこそが,Kazuo Ishiguro作品の大きな魅力なんじゃないかと思います。
主人公の「記憶」を頼りに,物語が描かれることから,
その語りは確か,濱口先生の授業で扱った「信頼できない語り手」
というやつにあたるのではないかと思います。
漫画でいうと,「Monster」や「20世紀少年」に見られる技法だと思います,たぶん。
ただ,本作品は,主人公の性格もあってか,丁寧に記憶が紡がれるので,
その語りを疑うことは一度もありませんでした。
いやはや,圧倒され続けました。
喪失感。はかなさ。
そういう思いを,本作品から確かに感じたように思います。
これから読まれる方へ。
物語のテーマについては,
予備知識を入れないで,読まれることをお勧めします。
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追記(2/19):
回想シーンの心情描写に,
「助動詞 + have + pp」や「仮定法過去完了」が多く使われていた気がします。
大学院に進学していなかったら,たぶん気付かなかった視点だと思いました。
今日は,Chinese New Year's Dayのようで,
China Townでパレードをやってるみたいでした。
Waikikiでも,変な格好をした人たちを見かけましたが。
それはさておき,
久しぶりに,そしてハワイでは,初のサッカーをしてきました。
足が棒のようです。
相当久しぶりの運動だったのもあるし,
サッカー前に,チーズバーガーとフライドポテト(L)を食べたせいもあって,
正直しんどかったです。
多国籍なゲームでしたが,アフリカ人が結構いて,
俺のサッカー人生でも,初の経験だったかもしれません。
彼らの身体能力は,半端ないです。
速い。
高い。
柔らかい。
ただし,個人技に走る傾向があるのが,穴ですが・・・
けど,やっぱスポーツっていいなぁと思いました。
パスを一つ通すだけで,なんかコミュニケーションを取っているような感覚。
パサーと受け手で,イメージ通りのパスのやり取りができたときは,
気持ちがいいものです。
それがゴールにつながれば,もっと良かったのですが,
外しまくってしまいました。
ラストゴールの声がかかって,なかなかゴールが決まらないのは,
ハワイでも同じでしたね。
明日は,筋肉痛で間違いないでしょう。
“Even though I can't speak English very well, I can speak football.”
上の言葉は,
教会のランチで一緒になったブラジル人から聴いたものです。
China Townでパレードをやってるみたいでした。
Waikikiでも,変な格好をした人たちを見かけましたが。
それはさておき,
久しぶりに,そしてハワイでは,初のサッカーをしてきました。
足が棒のようです。
相当久しぶりの運動だったのもあるし,
サッカー前に,チーズバーガーとフライドポテト(L)を食べたせいもあって,
正直しんどかったです。
多国籍なゲームでしたが,アフリカ人が結構いて,
俺のサッカー人生でも,初の経験だったかもしれません。
彼らの身体能力は,半端ないです。
速い。
高い。
柔らかい。
ただし,個人技に走る傾向があるのが,穴ですが・・・
けど,やっぱスポーツっていいなぁと思いました。
パスを一つ通すだけで,なんかコミュニケーションを取っているような感覚。
パサーと受け手で,イメージ通りのパスのやり取りができたときは,
気持ちがいいものです。
それがゴールにつながれば,もっと良かったのですが,
外しまくってしまいました。
ラストゴールの声がかかって,なかなかゴールが決まらないのは,
ハワイでも同じでしたね。
明日は,筋肉痛で間違いないでしょう。
“Even though I can't speak English very well, I can speak football.”
上の言葉は,
教会のランチで一緒になったブラジル人から聴いたものです。
知っているようで,意外と知らないことがたくさんあると思った。
たとえば,
テレビの視聴率って,どうやって調べるんだ?
時計の針は,どうして右回りなの?
「ニッポン」と「ニホン」・・・どっちが正しい?
あなたは,即答できるだろうか。
この本は,子どもが疑問に思う,そして案外大人も知らないようなことが書かれている。
読者ターゲットは子どもなので,説明が実に分かりやすい。
難しい話を嫌う,俺みたいな大人には,もってこいである。
トピックも「自然・歴史」「生活と経済」「政治」「国際問題」など多岐にわたっている。
実は,この本,こちらの大学の日本語コースで使われているもの。
確かに,日本人にとっては,面白い内容だと思うが。
どうだろう?
外国人には,ピンとくるのだろうか・・・
たとえば,
テレビの視聴率って,どうやって調べるんだ?
時計の針は,どうして右回りなの?
「ニッポン」と「ニホン」・・・どっちが正しい?
あなたは,即答できるだろうか。
この本は,子どもが疑問に思う,そして案外大人も知らないようなことが書かれている。
読者ターゲットは子どもなので,説明が実に分かりやすい。
難しい話を嫌う,俺みたいな大人には,もってこいである。
トピックも「自然・歴史」「生活と経済」「政治」「国際問題」など多岐にわたっている。
実は,この本,こちらの大学の日本語コースで使われているもの。
確かに,日本人にとっては,面白い内容だと思うが。
どうだろう?
外国人には,ピンとくるのだろうか・・・
今日は,Valentine's dayです。
午前は,淡い期待を抱き,昼頃になるとあせり始め,
夕方になる頃には,しょんぼり家路につく,そんな日だと思います。
ルームメイトから,チョコをもらいました。
いぇい!
テンションは上がりませんが・・・
日本では,女性が男性にチョコを贈るのが常ですが,
こちらでは,お互いにカードや花を贈るのが習慣になっています。
ただし,女性から男性へ,薔薇を贈るのは良くないそうです。
バレンタインデーに関連して,ちょっと調べてみました。
3月14日のホワイトデーは,ご存知の通り。
そして,驚いたことに,
その翌月の4月14日に,オレンジデーというのがあるらしい。
なんでも,恋人同士で,オレンジまたはオレンジ色のプレゼントを贈り合う日らしい。
オレンジはともかく,オレンジ色のプレゼントって??
探すのに一苦労しそうである。
オレンジ色のペンとか(俺は重宝するけど),
漫画「きまぐれオレンジロード」とか,くらいしか思い付かない。
ちょっと流行ってほしい記念日かも。
つーか,俺が知らなかっただけで,皆こっそりやってたのか?
ちなみに,韓国の4月14日は,
バレインタインデーとホワイトデーのどちらにも縁がなかった者同士が
黒い服を着て,黒い麺料理を食べる,その名も「ブラックデー」というのがあるらしい。
オレンジデー万歳である。
午前は,淡い期待を抱き,昼頃になるとあせり始め,
夕方になる頃には,しょんぼり家路につく,そんな日だと思います。
ルームメイトから,チョコをもらいました。
いぇい!
テンションは上がりませんが・・・
日本では,女性が男性にチョコを贈るのが常ですが,
こちらでは,お互いにカードや花を贈るのが習慣になっています。
ただし,女性から男性へ,薔薇を贈るのは良くないそうです。
バレンタインデーに関連して,ちょっと調べてみました。
3月14日のホワイトデーは,ご存知の通り。
そして,驚いたことに,
その翌月の4月14日に,オレンジデーというのがあるらしい。
なんでも,恋人同士で,オレンジまたはオレンジ色のプレゼントを贈り合う日らしい。
オレンジはともかく,オレンジ色のプレゼントって??
探すのに一苦労しそうである。
オレンジ色のペンとか(俺は重宝するけど),
漫画「きまぐれオレンジロード」とか,くらいしか思い付かない。
ちょっと流行ってほしい記念日かも。
つーか,俺が知らなかっただけで,皆こっそりやってたのか?
ちなみに,韓国の4月14日は,
バレインタインデーとホワイトデーのどちらにも縁がなかった者同士が
黒い服を着て,黒い麺料理を食べる,その名も「ブラックデー」というのがあるらしい。
オレンジデー万歳である。
ふと,君の地下鉄を見ていたら,
ap bankのライブが目に留まる。
櫻井和寿が,涙を流して謳っていた
「HERO」に思わず胸がつまる。
壺情報によると,普段泣かない人らしいので,驚いた。
まぁ,ライブの度に泣くミュージシャンなんて,いないだろうけども。
涙で詰まってしまう前の,頑張って作っていた笑顔が印象に残る。
何を思って謳い,泣くのか,心中を察することはできないけれど,
自分の作った音楽で泣けるなんて,それはそれで幸せなことなのかもしれない,と思う。
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは
希望に満ちた光だ
僕の手を握る少し小さな手
すっと胸の淀みを溶かしていくんだ
「HERO」のカップリングは,「空風の帰り道」
ちょうど2年前の今頃,よく聴いていた気がする。
歌詞が印象的で,個人的には「HERO」よりも好きな曲である。
歌詞中の「さよなら」って言葉は,やっぱり寂しくなるから,
俺は使わないけれど,曲を聴いていると,それほど悪くもない気がするんだな。
不思議です。
昨今,「さよなら」を,本当に聴かなくなった気がする。
どうでもいいけど,
俺にとって,「さよなら」って言葉は,エヴァの第4話あたりを思い出します。
これで分かる人は,少ないだろうな。
悔やんでも嘆いてても
時間は過ぎてしまうから
花や草木に習い僕ら
黙って手を振ろう
今日の日が終わる
また必ず会える
「さよなら」は悲しい響きだけど
僕が言えば愛の言葉
からっ風が吹いたから
ポケットに手を入れて歩くよ
花や草木に習い僕は
向かい風をうけて
一人でバス停まで
からっ風の帰り道
ap bankのライブが目に留まる。
櫻井和寿が,涙を流して謳っていた
「HERO」に思わず胸がつまる。
壺情報によると,普段泣かない人らしいので,驚いた。
まぁ,ライブの度に泣くミュージシャンなんて,いないだろうけども。
涙で詰まってしまう前の,頑張って作っていた笑顔が印象に残る。
何を思って謳い,泣くのか,心中を察することはできないけれど,
自分の作った音楽で泣けるなんて,それはそれで幸せなことなのかもしれない,と思う。
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは
希望に満ちた光だ
僕の手を握る少し小さな手
すっと胸の淀みを溶かしていくんだ
「HERO」のカップリングは,「空風の帰り道」
ちょうど2年前の今頃,よく聴いていた気がする。
歌詞が印象的で,個人的には「HERO」よりも好きな曲である。
歌詞中の「さよなら」って言葉は,やっぱり寂しくなるから,
俺は使わないけれど,曲を聴いていると,それほど悪くもない気がするんだな。
不思議です。
昨今,「さよなら」を,本当に聴かなくなった気がする。
どうでもいいけど,
俺にとって,「さよなら」って言葉は,エヴァの第4話あたりを思い出します。
これで分かる人は,少ないだろうな。
悔やんでも嘆いてても
時間は過ぎてしまうから
花や草木に習い僕ら
黙って手を振ろう
今日の日が終わる
また必ず会える
「さよなら」は悲しい響きだけど
僕が言えば愛の言葉
からっ風が吹いたから
ポケットに手を入れて歩くよ
花や草木に習い僕は
向かい風をうけて
一人でバス停まで
からっ風の帰り道
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突然だが,私は考えることが,あまり好きではない。
いや,積極的に言えば,嫌いである。
理由は,疲れるから。
簡単な理由で,申し訳ないが,ホントのことなので。
走ることや多くしゃべることを求めらるのも,
同様の理由で,嫌いである。
ところが,最近,考えることが多くなり,
そして何故か,それがそんなに苦痛だと感じなくなった。
何故だかは,分からないし,
あえてその理由を問い詰めることもしたくはない。
思えば,前セメは課題に追われる毎日で,
ストレスフルな生活を送っていた。
なんで留学したんだろう,なんてことを考えたくても
そんな精神的余裕すら,なかったように思う。
今は比較的,のんびり考え事をしたりできる。
それが嬉しい。
社会に出る前に,
自分が本当にしたいことは何なのか,
どういった教師になりたいのか,
どういった勉強が足りてないのか,
今出来ることは何なのか,
とゆっくり振り返る時間をもらったのは,
本当に贅沢なことだと感じている。
日本を発つ前に,ハワイへ留学するというと,
友達から「いいね,バケーション♪」と冷やかされたが,
いやはや,案外,その通りなのだ。
ロングバケーション。
与えられた時間を有意義にするために,
のんびりでもいいから,考えることをためらわずに。
残り3ヶ月あせらず生きよう。
いや,積極的に言えば,嫌いである。
理由は,疲れるから。
簡単な理由で,申し訳ないが,ホントのことなので。
走ることや多くしゃべることを求めらるのも,
同様の理由で,嫌いである。
ところが,最近,考えることが多くなり,
そして何故か,それがそんなに苦痛だと感じなくなった。
何故だかは,分からないし,
あえてその理由を問い詰めることもしたくはない。
思えば,前セメは課題に追われる毎日で,
ストレスフルな生活を送っていた。
なんで留学したんだろう,なんてことを考えたくても
そんな精神的余裕すら,なかったように思う。
今は比較的,のんびり考え事をしたりできる。
それが嬉しい。
社会に出る前に,
自分が本当にしたいことは何なのか,
どういった教師になりたいのか,
どういった勉強が足りてないのか,
今出来ることは何なのか,
とゆっくり振り返る時間をもらったのは,
本当に贅沢なことだと感じている。
日本を発つ前に,ハワイへ留学するというと,
友達から「いいね,バケーション♪」と冷やかされたが,
いやはや,案外,その通りなのだ。
ロングバケーション。
与えられた時間を有意義にするために,
のんびりでもいいから,考えることをためらわずに。
残り3ヶ月あせらず生きよう。
/l/の音。
/l/は側音と言われており,舌の両サイドから出す音。
舌の先の3分の1を,口の天井にべったり付けるのがポイント。
日本語の「ル」より,やや高めに聞こえるとのこと。
/r/の音。
最初に軽く「ゥ」と言うような感じで始める。
「ゥ」では舌の奥が口の天井に近づくため,
/r/の音に似せることができるとのこと。
舌は口内のどこにもつけないのがポイント。
「発音物語」の説明は,単純で分かりやすいです。
ちなみに,日本語の「ラリルレロ」は
英米人には「Da Di Du De Do」に聞こえるみたいですね。
つーか,むずっ!
追記(2/12):
単語力 614
ランキング 300位
無料だと,単語帳が10個までしか登録できないのが難。
あと,中級レベルはどんだけ速く解いても,
現在のランキングから落ちることが判明。
これからは,上級レベルに絞ってやっていこう。
/l/は側音と言われており,舌の両サイドから出す音。
舌の先の3分の1を,口の天井にべったり付けるのがポイント。
日本語の「ル」より,やや高めに聞こえるとのこと。
/r/の音。
最初に軽く「ゥ」と言うような感じで始める。
「ゥ」では舌の奥が口の天井に近づくため,
/r/の音に似せることができるとのこと。
舌は口内のどこにもつけないのがポイント。
「発音物語」の説明は,単純で分かりやすいです。
ちなみに,日本語の「ラリルレロ」は
英米人には「Da Di Du De Do」に聞こえるみたいですね。
つーか,むずっ!
追記(2/12):
単語力 614
ランキング 300位
無料だと,単語帳が10個までしか登録できないのが難。
あと,中級レベルはどんだけ速く解いても,
現在のランキングから落ちることが判明。
これからは,上級レベルに絞ってやっていこう。
あるHPで,「教師の人格とコミュニケーション」についての文章を読む。
なんか,考えることがあったので,書き留めておきたい。
その内容は,非常に妥当なもので,真っ向から反対するものではない。
ただ,私にはしっくりこなかった。
例えば,
授業のうまさというのは,人の人格の上に成り立つ
というような内容が書かれていた。
その通りだと思う。
人として素晴らしい教師というのは,確かに授業も成功しやすそうだ。
教師と生徒とのコミュニケーションも上手くいくだろう。
私がこれまで会ってきた「達人」教師は,確かに人としても素晴らしかったように思う。
ただ,上の考察は,なんかしっくりこないのだ。
人として素晴らしくない教師は,素晴らしい授業は出来ないのだろうか。
そもそも,「人として素晴らしい」という表現に引っかかる。
いや,意味したいことは,なんとなく分かるのだが,
素直に受け止めたくないのである。
私自身,自分のことを「人として素晴らしい」とか「人格者」だとか
思っていないので,上のような考えは,受け入れたくないのである。
それでも,英語の教師になりたいと思っているし,
なるだけ良い授業を目指したい,と考えている。
けれど,コミュニケーション能力があるとは思っていない。
電話なんか,苦手でしょうがない。
そんな私は,英語教師になってはいけないのだろうか。
「人格(者)」という表現が嫌いだと思った。
何をもって,「人格者」だと言うのだろう?
世の中,いろんな人が居て成り立っていると思うし,
いわゆる「変人」教師がいても良いのではと思う。
言い過ぎをあえて承知で書くが,
「人格者」という発想は,教師が他とは異なり,特に別な職業だという印象を受けた。
エリート主義的な発想だと思った。
「教師は聖職者である」と同じ発想だと思った。
私見だが,そんなことは決してないと思うのだ。
教師といっても,やっぱり1人の人間だし,
「人格者」という窮屈な型に当てはめて欲しくないのだ。
違いを認めるべきはずの教師が,人格者という言葉を使って欲しくない,と思うのだ。
愚痴っぽくなってしまったが,
なんとなく気持ちが高ぶってしまったので。
なんか,考えることがあったので,書き留めておきたい。
その内容は,非常に妥当なもので,真っ向から反対するものではない。
ただ,私にはしっくりこなかった。
例えば,
授業のうまさというのは,人の人格の上に成り立つ
というような内容が書かれていた。
その通りだと思う。
人として素晴らしい教師というのは,確かに授業も成功しやすそうだ。
教師と生徒とのコミュニケーションも上手くいくだろう。
私がこれまで会ってきた「達人」教師は,確かに人としても素晴らしかったように思う。
ただ,上の考察は,なんかしっくりこないのだ。
人として素晴らしくない教師は,素晴らしい授業は出来ないのだろうか。
そもそも,「人として素晴らしい」という表現に引っかかる。
いや,意味したいことは,なんとなく分かるのだが,
素直に受け止めたくないのである。
私自身,自分のことを「人として素晴らしい」とか「人格者」だとか
思っていないので,上のような考えは,受け入れたくないのである。
それでも,英語の教師になりたいと思っているし,
なるだけ良い授業を目指したい,と考えている。
けれど,コミュニケーション能力があるとは思っていない。
電話なんか,苦手でしょうがない。
そんな私は,英語教師になってはいけないのだろうか。
「人格(者)」という表現が嫌いだと思った。
何をもって,「人格者」だと言うのだろう?
世の中,いろんな人が居て成り立っていると思うし,
いわゆる「変人」教師がいても良いのではと思う。
言い過ぎをあえて承知で書くが,
「人格者」という発想は,教師が他とは異なり,特に別な職業だという印象を受けた。
エリート主義的な発想だと思った。
「教師は聖職者である」と同じ発想だと思った。
私見だが,そんなことは決してないと思うのだ。
教師といっても,やっぱり1人の人間だし,
「人格者」という窮屈な型に当てはめて欲しくないのだ。
違いを認めるべきはずの教師が,人格者という言葉を使って欲しくない,と思うのだ。
愚痴っぽくなってしまったが,
なんとなく気持ちが高ぶってしまったので。
大それたタイトルである。
中身は大したことないので,あしからず。
ふと自分の英語力と,
自分が教師になったときに教えるであろう
生徒の最終的な英語力を思い浮かべた。
帰国子女など例外を除けば,
生徒が最終的に教師の英語力を超えることはないだろう,と思ったのだ。
今,頭の中に思い浮かべているのは,高校の教育現場である。
自分の知っている,あるいはできること以上のことを
教室に持ち込むことは通常考えにくい。
では,そのことについて,英語教師は何ができるだろうか。
2つあると思う(今のとこ)。
1つ目は,自明だが,教師が自分の英語力を上げることである。
語学勉強には限りがない。
それは,たとえると,
大海の水をバケツですくうような作業だが,
大海ではなく,手元に残るバケツですくった水を想えば,
少しずつだが,進歩はみえる。
教える以上は,自分が学ぶことを止めてはいけない。
これは「義務」に近いものである。
生徒に努力しろと言いつつ,自分があぐらをかいていては話にならない。
と未来の自分に言い聞かせよう。
そして,2つ目だが,これが案外,無視されているように思う。
それは,生徒に教室外で学ばせる機会を与えることである。
つまり,「生徒が教師の英語力を超えることはない」というのは,
そもそも,生徒が教室内でしか勉強しなかったら,という仮定に
基づいている,ように思う。
ならば,教師は積極的に,教室外での学びを仕掛けてもよいのではなかろうか。
大きなことをする必要はない。
今や,英語の勉強なんて,どこでもできると教えてやればよい。
英語の学習本なんて,本屋に行けば至るところに見られるし,
インターネットを使えば,タダで英語を学ぶことができる時代なのだ。
そういったことをちょいと話せばよい。
なにより教室での学びには限界があるし,
自分のクラスの生徒が,自分の授業に満足していない可能性だって十分にある。
問題は,情報がありふれているということである。
だから,教師が必要なのであり,適切な情報を示すことが求められる。
どの学習本を勧めるか,どのHPが有益か。
自分が感動した本・曲・ドラマは何か。
マニアックな文法書の小話もいいかもしれない。
そういった情報を,もっと「積極的に」生徒に提供してもよいのでは,と思うのだ。
学ぶ場所は教室だけではない。
そう思うのだ。
中身は大したことないので,あしからず。
ふと自分の英語力と,
自分が教師になったときに教えるであろう
生徒の最終的な英語力を思い浮かべた。
帰国子女など例外を除けば,
生徒が最終的に教師の英語力を超えることはないだろう,と思ったのだ。
今,頭の中に思い浮かべているのは,高校の教育現場である。
自分の知っている,あるいはできること以上のことを
教室に持ち込むことは通常考えにくい。
では,そのことについて,英語教師は何ができるだろうか。
2つあると思う(今のとこ)。
1つ目は,自明だが,教師が自分の英語力を上げることである。
語学勉強には限りがない。
それは,たとえると,
大海の水をバケツですくうような作業だが,
大海ではなく,手元に残るバケツですくった水を想えば,
少しずつだが,進歩はみえる。
教える以上は,自分が学ぶことを止めてはいけない。
これは「義務」に近いものである。
生徒に努力しろと言いつつ,自分があぐらをかいていては話にならない。
と未来の自分に言い聞かせよう。
そして,2つ目だが,これが案外,無視されているように思う。
それは,生徒に教室外で学ばせる機会を与えることである。
つまり,「生徒が教師の英語力を超えることはない」というのは,
そもそも,生徒が教室内でしか勉強しなかったら,という仮定に
基づいている,ように思う。
ならば,教師は積極的に,教室外での学びを仕掛けてもよいのではなかろうか。
大きなことをする必要はない。
今や,英語の勉強なんて,どこでもできると教えてやればよい。
英語の学習本なんて,本屋に行けば至るところに見られるし,
インターネットを使えば,タダで英語を学ぶことができる時代なのだ。
そういったことをちょいと話せばよい。
なにより教室での学びには限界があるし,
自分のクラスの生徒が,自分の授業に満足していない可能性だって十分にある。
問題は,情報がありふれているということである。
だから,教師が必要なのであり,適切な情報を示すことが求められる。
どの学習本を勧めるか,どのHPが有益か。
自分が感動した本・曲・ドラマは何か。
マニアックな文法書の小話もいいかもしれない。
そういった情報を,もっと「積極的に」生徒に提供してもよいのでは,と思うのだ。
学ぶ場所は教室だけではない。
そう思うのだ。
久しぶりに聴きました。
自分の今の思いと特段重なるわけでもないのですが,
なんだかぐっとくる楽曲です。
「緑が好きだって云って 買わされたシャツ」
ってとこが特に好きです。
赤でもなく,青でもなく,
ましてやピンクでもなく,
緑。
緑だからこそ,ぐっとくる気がするのです。
他の色ではダメです。
理由はよく分かりません。
緑のシャツも一枚ももっていません。
でも,緑なんだなぁ。
溢した砂を掻き集めるような
繊細な仕草が
多くいるんだけど
愛はやっぱいい
重ねた臆病解く程
戸惑った指はない
そうだオリジナルなカラーで
海の碧からくすねた優しさ
喜んでくれるかな
緑が好きだって云って
買わされたシャツ
人間は何時だって
素敵な口笛吹けるんだ
そうだオリジナルなカラーで
自分の今の思いと特段重なるわけでもないのですが,
なんだかぐっとくる楽曲です。
「緑が好きだって云って 買わされたシャツ」
ってとこが特に好きです。
赤でもなく,青でもなく,
ましてやピンクでもなく,
緑。
緑だからこそ,ぐっとくる気がするのです。
他の色ではダメです。
理由はよく分かりません。
緑のシャツも一枚ももっていません。
でも,緑なんだなぁ。
溢した砂を掻き集めるような
繊細な仕草が
多くいるんだけど
愛はやっぱいい
重ねた臆病解く程
戸惑った指はない
そうだオリジナルなカラーで
海の碧からくすねた優しさ
喜んでくれるかな
緑が好きだって云って
買わされたシャツ
人間は何時だって
素敵な口笛吹けるんだ
そうだオリジナルなカラーで
前セメ,テスティングの授業を取り,
文法のテストを作成する機会があったのだが,
そのときに考えた雑念を書き留めておきたい。
まず文法とは何だろうか?
思いつくのは,チョムスキーの生成文法で・・・
というのはウソで,まあ,学校で勉強した「5文型」ですか。
いわゆる,単語をどのようにつなげたら文が成り立つかという規則。
それから,時制・受け身・to不定詞・完了形・仮定法などといったタイプの,
お決まりの形をとる表現。
この「規則」や「お決まりの形」といった表現に見られるように,
とどのつまり,文法とはルール,である。
むむっ。
しかし,「ルールは破られるためにあるのだ」
と誰かの歌詞にあったようなことを言ってみたい。
そう。
実際に,ルールは破られている。
例えば,時制の一致なんか,必ずしも守られていない。
→“I thought we're going to see a movie.”
それから,付加疑問。
→“It's fine weather, is it?”
ハワイでは,そのルールはさらに緩く,
→ “I go to the beach yesterday.”
とローカルの人たちは平気で言うみたいだし。
ここまで来ると,
さすがに文法って何だろうって再考せずにはいられなくなる。
少し考えてみたい。
文法の種類には,二通りある。
1つは,「規範文法」であり,「このように用いねばならない」というもの。
もう1つは,「記述文法」であり,「実際はこのように使われている」というもの。
今は,実践的コミュニケーションを謳っている時代なので,
文法のターゲットも「記述文法」となっているはず。
なのだが,実際はどうだろうか?
んー。
よく分からないが,
少なくても「文法vsコミュニケーション」という図式は,
少しおかしいのでは,と思うのだ。
「文法は,コミュニケーションの中で,初めて意味を持つものであり,その逆でない」と。
このように仮定すると,
実際に彼らがどのように言葉を用いるかを知らなければ,
満足に教えることも出来やしないではないか,という気がしてくる。
もちろん,記述文法というと,幅が広くなり,
何でもありな感じになってしまいかねない気もする。
だから,やっぱ「ルールは大事だ」と振り出しに戻るのだ,きっと。
じゃあ,今までの話は一体何だったんだということになる。
それでは何だか申し訳ないので,もう一歩踏み込んで,
「ルールは大事だとする一方で,
ルールを破ることを恐れる必要もないのでは」と言ってみたい。
つまり,教える際には誰彼でも分かる共通の基盤が必要であり,
そのためのルールを教室で学ぶのだが,
例えば,その基準から少しはずれた(しかし,コミュニケーションは成り立つ)表現を,
生徒が使ったとしても咎めないでおこう,ということである。
“He say he like play football.”
でもよかろうもん。
しかし(ここに来てしかし!),それでもいいと教えたとして,
テストはどうするのか,という問題がおこる。
“He says that he likes playing football.”
と書けなければ×なのか。
どういった文脈でのテストをつくるか,によるのかもしれない。
単なる機械的な書き換え問題とかであったら,×になるかもしれないし,
自分の友だちの紹介をする,という文脈で行ったテストならば,○でもいいかもしれない。
そもそも(文脈なしの)文法をテストすることそのものが間違っている,
と主張する人もいらっしゃるかもしれない。
いやいや,生徒がどこでつまづいているかを見るためには,
そういったテストも必要なんだ,とおっしゃる人もいるかもしれない。
俺の頭の中は,もう不確定要素でいっぱいである。
ただ,そんな中でも,1つ確信をもって言えるのは,
「その文法のテストで何を見たいのか?」
ということを教師は常に問わなければならないということだろう。
生徒のどんな力を見たくて,テストするのか?
生徒にどんな力をつけたくて,教えるのか?
何にしても,簡単ではない。
また,上で抜けていた文法の議論として,
「話し言葉における文法」と「書き言葉における文法」
の区別が必要(かもしれない),ということがある。
話し言葉では,伝わる限り,文法は気にされないのが通常と思われる。
しかし,書き言葉では,そうもいかない。
書き言葉の頂上のAcademic Writingなんて,文法に全くもって厳しい。
たとえAcademic Writingでなくても,日本語の文章であったとしても,
他人は他人の文法に厳しい気がするのだが,どうだろうか。
文法の知識を最大限に使用することが求められるのは,
おそらくライティングにおいてであろう。
だとすれば,ライティングの範囲(授業科目)だけで,
文法を教え,テストしてはどうだろうか,と提案してみる。
微妙だろうか?
まぁ,思いつきなので勘弁。
論があちこち飛んでしまった。
申し訳ない。
文法のテストを作成する機会があったのだが,
そのときに考えた雑念を書き留めておきたい。
まず文法とは何だろうか?
思いつくのは,チョムスキーの生成文法で・・・
というのはウソで,まあ,学校で勉強した「5文型」ですか。
いわゆる,単語をどのようにつなげたら文が成り立つかという規則。
それから,時制・受け身・to不定詞・完了形・仮定法などといったタイプの,
お決まりの形をとる表現。
この「規則」や「お決まりの形」といった表現に見られるように,
とどのつまり,文法とはルール,である。
むむっ。
しかし,「ルールは破られるためにあるのだ」
と誰かの歌詞にあったようなことを言ってみたい。
そう。
実際に,ルールは破られている。
例えば,時制の一致なんか,必ずしも守られていない。
→“I thought we're going to see a movie.”
それから,付加疑問。
→“It's fine weather, is it?”
ハワイでは,そのルールはさらに緩く,
→ “I go to the beach yesterday.”
とローカルの人たちは平気で言うみたいだし。
ここまで来ると,
さすがに文法って何だろうって再考せずにはいられなくなる。
少し考えてみたい。
文法の種類には,二通りある。
1つは,「規範文法」であり,「このように用いねばならない」というもの。
もう1つは,「記述文法」であり,「実際はこのように使われている」というもの。
今は,実践的コミュニケーションを謳っている時代なので,
文法のターゲットも「記述文法」となっているはず。
なのだが,実際はどうだろうか?
んー。
よく分からないが,
少なくても「文法vsコミュニケーション」という図式は,
少しおかしいのでは,と思うのだ。
「文法は,コミュニケーションの中で,初めて意味を持つものであり,その逆でない」と。
このように仮定すると,
実際に彼らがどのように言葉を用いるかを知らなければ,
満足に教えることも出来やしないではないか,という気がしてくる。
もちろん,記述文法というと,幅が広くなり,
何でもありな感じになってしまいかねない気もする。
だから,やっぱ「ルールは大事だ」と振り出しに戻るのだ,きっと。
じゃあ,今までの話は一体何だったんだということになる。
それでは何だか申し訳ないので,もう一歩踏み込んで,
「ルールは大事だとする一方で,
ルールを破ることを恐れる必要もないのでは」と言ってみたい。
つまり,教える際には誰彼でも分かる共通の基盤が必要であり,
そのためのルールを教室で学ぶのだが,
例えば,その基準から少しはずれた(しかし,コミュニケーションは成り立つ)表現を,
生徒が使ったとしても咎めないでおこう,ということである。
“He say he like play football.”
でもよかろうもん。
しかし(ここに来てしかし!),それでもいいと教えたとして,
テストはどうするのか,という問題がおこる。
“He says that he likes playing football.”
と書けなければ×なのか。
どういった文脈でのテストをつくるか,によるのかもしれない。
単なる機械的な書き換え問題とかであったら,×になるかもしれないし,
自分の友だちの紹介をする,という文脈で行ったテストならば,○でもいいかもしれない。
そもそも(文脈なしの)文法をテストすることそのものが間違っている,
と主張する人もいらっしゃるかもしれない。
いやいや,生徒がどこでつまづいているかを見るためには,
そういったテストも必要なんだ,とおっしゃる人もいるかもしれない。
俺の頭の中は,もう不確定要素でいっぱいである。
ただ,そんな中でも,1つ確信をもって言えるのは,
「その文法のテストで何を見たいのか?」
ということを教師は常に問わなければならないということだろう。
生徒のどんな力を見たくて,テストするのか?
生徒にどんな力をつけたくて,教えるのか?
何にしても,簡単ではない。
また,上で抜けていた文法の議論として,
「話し言葉における文法」と「書き言葉における文法」
の区別が必要(かもしれない),ということがある。
話し言葉では,伝わる限り,文法は気にされないのが通常と思われる。
しかし,書き言葉では,そうもいかない。
書き言葉の頂上のAcademic Writingなんて,文法に全くもって厳しい。
たとえAcademic Writingでなくても,日本語の文章であったとしても,
他人は他人の文法に厳しい気がするのだが,どうだろうか。
文法の知識を最大限に使用することが求められるのは,
おそらくライティングにおいてであろう。
だとすれば,ライティングの範囲(授業科目)だけで,
文法を教え,テストしてはどうだろうか,と提案してみる。
微妙だろうか?
まぁ,思いつきなので勘弁。
論があちこち飛んでしまった。
申し訳ない。
破擦音,/t∫/ /d3/の復習。
破擦音とは,破裂摩擦音を意味する。
/t∫/の音。
破裂音/t/と摩擦音/∫/をすばやく連続させて出す。
日本語の「チ」に近いが,それよりもはっきり破裂させるということ。
口を丸くすぼめ気味にすると良い。
/d3/の音。
/t∫/+声帯を震わす。
破裂音をしっかり出すの(切れの良さ)がポイント。
発声方法が似た音として,That's OK.の/ts/がある。
日本語の「ツ(tsu)」の音からuを省いた音。
/z/と/dz/の区別。
/z/は/s/の有声音で,舌が歯茎につかない。
/dz/は/ts/の有声音で,舌が歯茎につく。
cars - cards
size - sides
/3/と/d3/の区別。
/3/は,摩擦音なので,持続可能な音。柔らかい音。
歯茎に近づくが,接しない。
/d3/は,破擦音なので,一瞬で終わる音。硬い音。
歯茎に接する。
/3/の音は少なく,-sion, -sureなど。
勉強になります。
破擦音とは,破裂摩擦音を意味する。
/t∫/の音。
破裂音/t/と摩擦音/∫/をすばやく連続させて出す。
日本語の「チ」に近いが,それよりもはっきり破裂させるということ。
口を丸くすぼめ気味にすると良い。
/d3/の音。
/t∫/+声帯を震わす。
破裂音をしっかり出すの(切れの良さ)がポイント。
発声方法が似た音として,That's OK.の/ts/がある。
日本語の「ツ(tsu)」の音からuを省いた音。
/z/と/dz/の区別。
/z/は/s/の有声音で,舌が歯茎につかない。
/dz/は/ts/の有声音で,舌が歯茎につく。
cars - cards
size - sides
/3/と/d3/の区別。
/3/は,摩擦音なので,持続可能な音。柔らかい音。
歯茎に近づくが,接しない。
/d3/は,破擦音なので,一瞬で終わる音。硬い音。
歯茎に接する。
/3/の音は少なく,-sion, -sureなど。
勉強になります。
メル・ギブソンが製作,監督,主演の3役を務めた話題作。
舞台は,13世紀末のスコットランド。
イングランドから自由を勝ち取ろうとする,
スコットランドの英雄,ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた内容となっている。
率直な感想としては,色々突っ込みどころの多い映画だなぁと。
例えば,
少年時代のウィリアム・ウォレスから,
成長した大人役の,メル・ギブソンが登場したときは,
「おっさん」すぎるんじゃ?
と思わず心の中で突っ込みが入ったし,
途中のラブストーリー的展開は,余計な気がするし・・・
ただ,
それらを差し引いても,見る価値は十分にある映画だと思います。
特に最後のシーンで,
主人公が叫ぶあるセリフに映画の全てが集約されている
という一点で,気持ちは高ぶるし,見ごたえはあります。
また,アクセントの強いScottish Englishの,
聞いていて分からないところが,逆に楽しかったりします。
そして,バグパイプの音色が悲しげですが,美しいです。
ただ,映画の内容は大幅に脚色されているみたいです。
知りませんでした。
余談ですが,
ウィリアム・ウォレスの像が,エディンバラ城にあるみたいですね。
気付きませんでしたが。
舞台は,13世紀末のスコットランド。
イングランドから自由を勝ち取ろうとする,
スコットランドの英雄,ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた内容となっている。
率直な感想としては,色々突っ込みどころの多い映画だなぁと。
例えば,
少年時代のウィリアム・ウォレスから,
成長した大人役の,メル・ギブソンが登場したときは,
「おっさん」すぎるんじゃ?
と思わず心の中で突っ込みが入ったし,
途中のラブストーリー的展開は,余計な気がするし・・・
ただ,
それらを差し引いても,見る価値は十分にある映画だと思います。
特に最後のシーンで,
主人公が叫ぶあるセリフに映画の全てが集約されている
という一点で,気持ちは高ぶるし,見ごたえはあります。
また,アクセントの強いScottish Englishの,
聞いていて分からないところが,逆に楽しかったりします。
そして,バグパイプの音色が悲しげですが,美しいです。
ただ,映画の内容は大幅に脚色されているみたいです。
知りませんでした。
余談ですが,
ウィリアム・ウォレスの像が,エディンバラ城にあるみたいですね。
気付きませんでしたが。
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英語に自信がもてない,
というのは俺のコンプレックスになりつつある。
これでも,中学・高校のときは,出来た方だし,
英語(科目)は,そこそこ自信もあった。
エディンバラ留学時代も,
今思えば,恥ずかしいことだが,妙な自信があった。
俺の英語でも通じるじゃん,という妙な類の自信が。
しかし,
今,自信など欠片もない。
いや,欠片程度にはあるが,ふっと息をかけたら消えてしまいそうな程度だ。
理由を考えてみたら,案外単純なことだと気付いた。
「自信」という言葉を使うときには,2通りの用途があると思う。
1つ目は,
「俺はあいつより英語を流暢に話せる/語法・文法なら負けない」
という文脈での「できる」自信だ。
自分は他人より優れているという自信であり,
社会の中で生き抜くためには,欠かせない要素だと思う。
もちろん,1つ目の自信も大事だが,
俺は,2つ目の「自信」も同様に大事だと思う。
それは,
「俺はこれまで,これだけ努力してきたのだから」
という文脈での「頑張った」自信だ。
この自信は,他人には分からない尺度で測っているため,
自分が認めてやるしかない。
他人より劣ろうが,蔑まされようが,
自分に胸を張っていい類の「自信」だと思う。
そして,これこそ,大学に入ってから今まで,
俺が努力してこなかった結果による「自信がもてない」
ということなんじゃないかと思った。
ホントに,机に向かって,英語の勉強をしてこなかった。
そのツケが今返ってきている。
月並みだが,やはり「こつこつ」が肝心なのだ,と改めて思う。
この留学で,どれだけ英語が向上するかは分からないが,
少なくとも,2つ目の「自信」はこれから育てていけるように,
と思っている。
以上は,「ほぼ日」の記事を読んで,考えたことである。
以下は,一部抜粋。
生活のなかに、少しずつ組み込まれているものは、
積み重ねられてかなり大きな分量になる。
そういうことなのだなぁ、と思ったのだ。
(中略)
仕事でも、似たようなところがあって、
「楽しそうに、ちょこちょこと
自分のいまやっている仕事について立ち話している」
なんていう環境が、いちばんいいように思う。
もちろん、合宿みたいに、
一気に土台の部分をセットするようなことも必要だけど、
遠くまで伸びていく仕事というのは、
やっぱり積み重ねのおかげでできているのだ。
というのは俺のコンプレックスになりつつある。
これでも,中学・高校のときは,出来た方だし,
英語(科目)は,そこそこ自信もあった。
エディンバラ留学時代も,
今思えば,恥ずかしいことだが,妙な自信があった。
俺の英語でも通じるじゃん,という妙な類の自信が。
しかし,
今,自信など欠片もない。
いや,欠片程度にはあるが,ふっと息をかけたら消えてしまいそうな程度だ。
理由を考えてみたら,案外単純なことだと気付いた。
「自信」という言葉を使うときには,2通りの用途があると思う。
1つ目は,
「俺はあいつより英語を流暢に話せる/語法・文法なら負けない」
という文脈での「できる」自信だ。
自分は他人より優れているという自信であり,
社会の中で生き抜くためには,欠かせない要素だと思う。
もちろん,1つ目の自信も大事だが,
俺は,2つ目の「自信」も同様に大事だと思う。
それは,
「俺はこれまで,これだけ努力してきたのだから」
という文脈での「頑張った」自信だ。
この自信は,他人には分からない尺度で測っているため,
自分が認めてやるしかない。
他人より劣ろうが,蔑まされようが,
自分に胸を張っていい類の「自信」だと思う。
そして,これこそ,大学に入ってから今まで,
俺が努力してこなかった結果による「自信がもてない」
ということなんじゃないかと思った。
ホントに,机に向かって,英語の勉強をしてこなかった。
そのツケが今返ってきている。
月並みだが,やはり「こつこつ」が肝心なのだ,と改めて思う。
この留学で,どれだけ英語が向上するかは分からないが,
少なくとも,2つ目の「自信」はこれから育てていけるように,
と思っている。
以上は,「ほぼ日」の記事を読んで,考えたことである。
以下は,一部抜粋。
生活のなかに、少しずつ組み込まれているものは、
積み重ねられてかなり大きな分量になる。
そういうことなのだなぁ、と思ったのだ。
(中略)
仕事でも、似たようなところがあって、
「楽しそうに、ちょこちょこと
自分のいまやっている仕事について立ち話している」
なんていう環境が、いちばんいいように思う。
もちろん、合宿みたいに、
一気に土台の部分をセットするようなことも必要だけど、
遠くまで伸びていく仕事というのは、
やっぱり積み重ねのおかげでできているのだ。
摩擦音,/s/ /z/ /th/(無声) /ð/ /∫/(シー) /3/(ジー) の復習。
/s/の音。
あるHPによると,日本人が最もできていない音であるという。
その原因は,
1)息が弱い
2)発音時間が短い
3)母音がくっついている
舌の位置は,上の前歯の裏の近くで,息が歯と摩擦しながら音をつくる。
声ではなく,息の流れだけで作られる音。
日本人の/s/の音は,英米人には/sh/の音に聞こえるらしい。
sitがshitになったら大変。面白いっちゃ,面白いが。
そういえば,高校の英語の授業のとき,友だちが注意されてたな。
口のはしは,キュッと上がるのかな。
/z/の音。
/s/+声帯を震わすので,より強い息が決め手となる。
/th/(無声)の音。
世界的にみても珍しい音らしい。
以前は,「舌を噛んで」出す音と指導されていた。
が,実際に「舌を噛んだら」音など出ないので,
「発音物語」の説明にあるように,
/f/のごとく,噛むのではなく,あてがう,のが分かりやすいと思う。
以下は,プロセスの説明。
「舌の先の部分を上の歯の先端にあてがい,
舌の先を一瞬のうちに口の中に引き戻しながら歯を削る。
このとき「唾」を飛ばしながら「強い息」を吐き出す。
舌の先にO157の菌が付いていてそれを吹き飛ばすイメージ。」
少々大袈裟だが,具体的で分かりやすい解説である。
/ð/の音。
/th/(無声)+声帯を震わすので,強い息が必要となる。
thisとthatの/th/の音は,どう聞いても違う音じゃないかと
今まで思っていたのは,カタカナのジとザで代用していたから,
ということにようやく気付いた。遅すぎ。
/∫/の音。
イメージは,生徒を黙らせる際の「シッ!」。
丸く口をすぼめ,たくさんの息を吐き出す。
/3/の音。
/sh/+声帯を震わす。
日本語のジは,舌の先が一瞬前歯に触れるが,
/3/の音は,舌の先が前歯や歯茎には触れないので,注意が必要。
vision, 母音+-sion,など使用が限られた音なので,ラッキー。
最後に,早口ことばで締める。
She sells seashells by the seashore.
/s/の音。
あるHPによると,日本人が最もできていない音であるという。
その原因は,
1)息が弱い
2)発音時間が短い
3)母音がくっついている
舌の位置は,上の前歯の裏の近くで,息が歯と摩擦しながら音をつくる。
声ではなく,息の流れだけで作られる音。
日本人の/s/の音は,英米人には/sh/の音に聞こえるらしい。
sitがshitになったら大変。面白いっちゃ,面白いが。
そういえば,高校の英語の授業のとき,友だちが注意されてたな。
口のはしは,キュッと上がるのかな。
/z/の音。
/s/+声帯を震わすので,より強い息が決め手となる。
/th/(無声)の音。
世界的にみても珍しい音らしい。
以前は,「舌を噛んで」出す音と指導されていた。
が,実際に「舌を噛んだら」音など出ないので,
「発音物語」の説明にあるように,
/f/のごとく,噛むのではなく,あてがう,のが分かりやすいと思う。
以下は,プロセスの説明。
「舌の先の部分を上の歯の先端にあてがい,
舌の先を一瞬のうちに口の中に引き戻しながら歯を削る。
このとき「唾」を飛ばしながら「強い息」を吐き出す。
舌の先にO157の菌が付いていてそれを吹き飛ばすイメージ。」
少々大袈裟だが,具体的で分かりやすい解説である。
/ð/の音。
/th/(無声)+声帯を震わすので,強い息が必要となる。
thisとthatの/th/の音は,どう聞いても違う音じゃないかと
今まで思っていたのは,カタカナのジとザで代用していたから,
ということにようやく気付いた。遅すぎ。
/∫/の音。
イメージは,生徒を黙らせる際の「シッ!」。
丸く口をすぼめ,たくさんの息を吐き出す。
/3/の音。
/sh/+声帯を震わす。
日本語のジは,舌の先が一瞬前歯に触れるが,
/3/の音は,舌の先が前歯や歯茎には触れないので,注意が必要。
vision, 母音+-sion,など使用が限られた音なので,ラッキー。
最後に,早口ことばで締める。
She sells seashells by the seashore.
文科省が,体罰の解釈について,初の見解を示したというニュースを読む。
学校教育法が禁じている体罰の解釈は変えない。ただし、
(1)生徒を放課後居残りさせたり、授業中に起立させたりするなどの行為は
「肉体的苦痛が伴わない限り、体罰でない」
(2)授業を妨害した生徒の携帯電話を預かることは許される、・・・
などといった具体例が挙げられた。
2点目は,少し滑稽だなと思う。
体罰とどのように関係するのだろうか。
しばしば,体罰は許されるのか,といった議論がされるが,
正直,私はよく分からない。
これまで幸い(?),体罰を身をもって経験することがなかったため,
この問題が今ひとつ,実感としてわかないのである。
果たして,どうなのだろうか?
「身をもって」経験することこそなかったが,
クラスメートがぶたれるのは目にしている。
小学校6年生のときだ。
生徒を教室の後ろに立たせ,「歯を食いしばれ」と先生が怒鳴り,
5,6人は居ただろう,クラスメートの頬を次々とぶっていった。
自分のことではないのに,何故か記憶は鮮明である。
先生は真剣だったし,
ぶたれたクラスメートは皆,目を真っ赤にして泣いていた。
自分たちがしでかしたことを真剣に反省していたと思う。
ただそれでも,
クラスは皆,その先生のことが好きだったと思う。
体罰を行ったにしろ,行わなかったにしろ,
先生が真剣に自分たちと向き合ってくれていたのが分かっていたから。
私が将来教師になったとき,体罰を行うことはないと思う。
ただ,他の教員が体罰を行うことについては,何も言えない気がする。
生徒をぶつというのは,相当の覚悟が要ることだと思うから。
上では,回想のところより,
「体罰」=「ぶつ」と定義を限定して用いていることに注意されたい。
学校教育法が禁じている体罰の解釈は変えない。ただし、
(1)生徒を放課後居残りさせたり、授業中に起立させたりするなどの行為は
「肉体的苦痛が伴わない限り、体罰でない」
(2)授業を妨害した生徒の携帯電話を預かることは許される、・・・
などといった具体例が挙げられた。
2点目は,少し滑稽だなと思う。
体罰とどのように関係するのだろうか。
しばしば,体罰は許されるのか,といった議論がされるが,
正直,私はよく分からない。
これまで幸い(?),体罰を身をもって経験することがなかったため,
この問題が今ひとつ,実感としてわかないのである。
果たして,どうなのだろうか?
「身をもって」経験することこそなかったが,
クラスメートがぶたれるのは目にしている。
小学校6年生のときだ。
生徒を教室の後ろに立たせ,「歯を食いしばれ」と先生が怒鳴り,
5,6人は居ただろう,クラスメートの頬を次々とぶっていった。
自分のことではないのに,何故か記憶は鮮明である。
先生は真剣だったし,
ぶたれたクラスメートは皆,目を真っ赤にして泣いていた。
自分たちがしでかしたことを真剣に反省していたと思う。
ただそれでも,
クラスは皆,その先生のことが好きだったと思う。
体罰を行ったにしろ,行わなかったにしろ,
先生が真剣に自分たちと向き合ってくれていたのが分かっていたから。
私が将来教師になったとき,体罰を行うことはないと思う。
ただ,他の教員が体罰を行うことについては,何も言えない気がする。
生徒をぶつというのは,相当の覚悟が要ることだと思うから。
上では,回想のところより,
「体罰」=「ぶつ」と定義を限定して用いていることに注意されたい。
今日の晩は,行きつけのJack in the Boxにて,
「究極のチーズバーガー」をいただいた。
うまかったい,これが。
普通のチーズバーガーと食べ比べても,
口に広がるチーズのとろけ方が,断然違うのですよ。
普通のチーズバーガーなんて,屁みたいなもんです。
それにしても,
晩飯とハンバーガーなんて,
日本では絶対あり得なかった組み合わせだったのに,
いやはやもう,すっかりアメリカナイズ,
否,ハワイナイズされてます。
それはともかく,ショックな出来事。
先の店内で,列に並んでいると,
同じく列に並んでいる2人前のブロンドの女の子が,
携帯でピコピコ,ゲームをしてる。
後ろ髪が少し赤く染まり,
格好は,どう見てもパジャマ。
夕方のこの時間帯で,何故パジャマなのかも,謎なのだが,
もっと分からないのは,彼女がどう見ても小学1年生くらいだった,
ということ。
夕方とはいえ,もうすぐ7時。
決して安全とはいえない,ワイキキで1人,
小さな女の子が,親のパシリにあっている。
慣れているのか,注文を難なく済ませ,
一人では開けるのも大変そうなドアを頑張って開けて,
帰っていった。
小さいのに,
彼女のお腹は,ファーストフードのせいか異様に膨らんでいました。
話が飛躍するけれども,
親を選べない子どものために,学校はあるのかもしれない,
と少し思い直しました。
以前は,
教育の最終的な責任は,親にある,と言い張ってましたが,
(そしてそれは,今も変わらないのだけれども),
教師は,良くも悪くも個々の親の教育力というのを見据えた上で,
指導にあたる必要があるのだなぁ,
と今現場で先生をしている同級生に思いを馳せるのでした。
「究極のチーズバーガー」をいただいた。
うまかったい,これが。
普通のチーズバーガーと食べ比べても,
口に広がるチーズのとろけ方が,断然違うのですよ。
普通のチーズバーガーなんて,屁みたいなもんです。
それにしても,
晩飯とハンバーガーなんて,
日本では絶対あり得なかった組み合わせだったのに,
いやはやもう,すっかりアメリカナイズ,
否,ハワイナイズされてます。
それはともかく,ショックな出来事。
先の店内で,列に並んでいると,
同じく列に並んでいる2人前のブロンドの女の子が,
携帯でピコピコ,ゲームをしてる。
後ろ髪が少し赤く染まり,
格好は,どう見てもパジャマ。
夕方のこの時間帯で,何故パジャマなのかも,謎なのだが,
もっと分からないのは,彼女がどう見ても小学1年生くらいだった,
ということ。
夕方とはいえ,もうすぐ7時。
決して安全とはいえない,ワイキキで1人,
小さな女の子が,親のパシリにあっている。
慣れているのか,注文を難なく済ませ,
一人では開けるのも大変そうなドアを頑張って開けて,
帰っていった。
小さいのに,
彼女のお腹は,ファーストフードのせいか異様に膨らんでいました。
話が飛躍するけれども,
親を選べない子どものために,学校はあるのかもしれない,
と少し思い直しました。
以前は,
教育の最終的な責任は,親にある,と言い張ってましたが,
(そしてそれは,今も変わらないのだけれども),
教師は,良くも悪くも個々の親の教育力というのを見据えた上で,
指導にあたる必要があるのだなぁ,
と今現場で先生をしている同級生に思いを馳せるのでした。
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